アメリカズカップと
ニッポンチャレンジAmerica’s Cup and Nippon Challenge

アメリカズカップとニッポンチャレンジ

アメリカズカップとニッポンチャレンジ

ヨットレースの最高峰「アメリカズカップ」。かつて日本から、この至高の銀杯に3度にわたり挑んだチームがあった。その名も「ニッポンチャレンジアメリカズカップ」。ここ、愛知県蒲郡市にベースキャンプを置き、アメリカのサンディエゴ、ニュージーランドのオークランドで世界の頂点を目指して闘った。挑戦艇選抜シリーズの結果は、3度とも4位。しかしながら、日本のセーリング技術の高さはもちろん、海洋工学や流体力学を駆使した造船技術の高さは、世界を驚愕させた。スナメリ号とニッポンチャレンジ号のそばに置かれている巨大なヨットは、95年大会のレース艇「JPN-26」の実物である。

ニッポンチャレンジ号は、アメリカズカップ挑戦の志を、多くの国民に海から伝えようと行われた「日本一周キャンペーン」(1998年4月29日〜7月26日)で使用されたヨット。ニッポンチャレンジ号のキャビン内の一部でも、当時の様子を一部垣間見ることができる。

アメリカズカップとニッポンチャレンジ

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アメリカズカップとニッポンチャレンジ

Photo by Photowave / Kaoru Soehata

アメリカズカップの歴史

1851年(嘉永4年)、我が国に黒船が来航するよりさらに2年前、ロンドンでは、第1回万国博覧会が開催されていた。これを記念して、ロイヤルヨット・スコードロンが主催したワイト島(英仏海峡に浮かぶ保養地)一周レース がことの発端となった。海洋国英国の快速艇が一堂に会するこのヨットレースに、当時新興国だったアメリカから1隻だけ参加したのがニューヨーク・ヨットクラブ所属の101ftスクーナー「アメリカ」。 “Your Majesty, there is no second.”(女王陛下、2位は ございません)という言葉が後世に残るほどの大差で、「アメリカ」が勝利をものにした。この時の純銀製の優勝カップが、後にヨット「アメリカ」が勝ち取った カップとして『アメリカズカップ』と称されるようになった。
このワイト島一周レースでの敗北は、海洋国英国にとっては拭いがたい屈辱として残り、1870年、英国艇 「カンブリア」がアメリカに乗り込んだが、カップを奪還することはできなかった。これが第1回アメリカズカップである。
以来130年間、世界のヨットマンは、技術の粋と国力を結集し、至高の銀杯獲得を目指してきた。
歴代の挑戦者の中には、紅茶王サー・トーマス・リプトンや、ボールペンとライターでお馴染みのビック男爵、CNNの総帥テッド・ターナーらが名を連ねている。

アメリカズカップは、継続して使用されているものとしては世界最古の優勝トロフィーで、オリンピックやサッカーワールドカップ、全英オープンゴルフよりも長い歴史を持つ。

アメリカズカップの歴史
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Photo by Photowave / Kaoru Soehata

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